2021年1月30日ココロとカラダの統合ワーク@赤城山 参加者Yさん

参加者の声

【ココロとカラダの統合ワーク】Yさん
※感想・体験談は全てご本人の了承を得て掲載しております。

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自分の感情と向き合って、思考を使って吐き出すということはやってきたけれど、カラダから吐き出すということはしたことがなくて(勝手に熱が出たりお腹を下したりというのはあったけれど、意識をして出したことはない)。
感じたことを自分なりの言葉にして表現するという能力が自分にあることに気づいた(周りの人に気づかせてもらった)ここ1ヶ月くらいのこと。
言葉での表現はわかるけれど、カラダでの表現は想像できなかった。
ワークに参加して最初の1時間、ダイナミック瞑想によりとにかくカラダを感じる。
もう、苦しいでいっぱいだった。
1歳の息子がまさに全身全霊で喜怒哀楽を表現する姿を目の当たりにしては
体力あるなー
これくらい出し切れるといいなー
と思ってはいたけれど。
全然出し切れない。
でも、途中からだんだんハイになってきて。
余計なことが考えられなくなった。
とにかく跳ぶ‼︎とか、とにかくカラダが気持ちいいと感じるように踊る‼︎とか。
そこに集中することのできるものすごく貴重な時間だった。
午後にはいろいろなワークがあったのだけれど。
その中でもわたしにとって強烈な印象に残ったのが
「それでも、傷つけてしまったならごめんなさい」
というものだった。
相手に「嫌い」とか「いなくなれ」とか言っても何も感じなかったのに。
この言葉だけはなぜか涙が溢れてきて、声が震えて。
ワークの最中はなんでかわからなかったけど。
その後の休憩時間、誰とも話さず、目も合わせず、ひたすらなんでだろうと考えていた。
そうしたら
わたしはもしかしてお母さんに
謝って欲しかったのかもしれない
と思った。
小さいころ、お母さんから自分のこだわりを否定されることがあって傷ついた自分がいて。
理解してもらえないことが悲しかったし寂しかった。
理解して欲しいとも思ったことに気づいてはいたのだけれど。
さらにその先に、「ごめんね」の一言が欲しかったのかもしれないと思った。
さらにワークは続き。
そうしたら、今度は
ごめんなさいの言葉は
お父さんに言いたかった言葉なのかもしれない
とふと思うようになって。
わたしが高校生になってすぐ、交通事故にあった。
わたしが自転車で相手は車。
意識がなくなって、道端で倒れ込んでいたのを偶然わたしを迎えに行くお父さんが見つけて救急車を呼んでくれた。
それ以来、ちょっと帰るのが遅くなると心配して迎えに来てくれたり、雨が降ると送迎してくれたりすることがよくあった。
ある日、友だちと一緒に帰ろうと自転車に乗って学校の門を出ようとしたところ、車でお父さんが迎えに来ていることに気づいた。
迎えに来た理由はよく覚えていない。
わたしのお父さんを見た友だちは
あーちゃん、今日もお迎えかぁ〜
というようなことを言った。
わたしはこのとき
いつまでも甘えてるね
みたいなことを言われたような気がして、恥ずかしくて、迎えに来たお父さんに怒りをぶつけながら
なんで迎えに来るの!帰って‼︎
と帰した。
そのときはいわゆる思春期だったし、家族に当たり散らすことが多かったのだけれど。
多分、わたしはこのことをすごく後悔していた。
ずっとずっと謝りたかった。
でも、お父さんにはなんだか恥ずかしくてどう謝ったらいいのかわからなくて。
結局、今までそのまますっかり忘れて謝ることはなかったのだけれど。
今回のワークで噴き出してきた。
その「お父さんに謝りたかったのかもしれない」という予感が確信になったのはワーク翌日の今朝のこと。
昨日、ワークで夕方までかかると旦那さんには伝えていたけれど、夕ご飯については特になにも言っていなかったわたし。
ワークが終わった後にラインを見ると、仕事から帰ったという内容のラインが来ていて。
夕飯はみんなと食べて帰るからそちらはよろしく!と電話をしたら「もっと早く言ってよ」と怒っていた。
怒りをあらわにするというよりも、そっけなくなる感じ。
このパターンを何度も繰り返していて「あ、またか…」と思った。
いつもならその旦那さんの怒りに感情を揺さぶられて帰った後も気まずいままだった。
でも、今日のワークをやったらなんだか感情に振り回されにくくなって。
帰った後、車で寝てしまった娘を抱っこして家に入れてとお願いした。
今までなら「自分の都合で遅くなったんだから」と、全部自分でやらなければならないと思って必死だった。
案の定、旦那さんには
嫌だ。自分で遊んで来て遅くなったんだから自分でやって
と言われたけれど、目を見て
お願いします
と伝えることができた。
そのあと、結局娘を連れてきてくれたのだけれど。
怒ってるんだからね!
お腹すいて帰ってきたら…
と旦那さんが言った。
これを言われたときに、少し驚いたと同時に嬉しくなった。
少しずつ、旦那さんも本当の気持ちを伝え始めてくれている変化を感じたからだった。
今まではただそっけなく怒りの雰囲気を出してわたしを突っぱねるだけだったのに。
そして今朝。
やっぱりいつもより不機嫌な旦那さんを見て
どう謝ろうかなぁ…
と考えていたのだけれど。
なんだか素直に、重くならずに、ごめんね、と伝えることができた。
今までは旦那さんに謝ることが上手に出来なくて。
なんだかいつもこじれてしまう感じがあったのだけれど。
このときやっと
あ!
やっぱりわたしお父さんに謝りたかったんだ!
と気づいた。
昨日のワークで
それでも傷つけてしまったならごめんなさい
と涙を流しながら振り絞って他の参加者に伝えて抱き合って。
先に気づいて出したから変わった。
それを実感することができた。
ここ2週間くらい前から
社会との関わりは父親との関わりでもあり
旦那さんとの関わりでもある
ということは頭でわかっていたのだけれど。
やっと、自分ごととして入ってきた出来事だった。
わたしのお父さんはあんまり喋る人でもないし、これといった思い出みたいなのはないと思っていたのだけれど。
まさか、自分が謝りたかったという気持ちを抱えていたとは。
この気づきと吐き出しが、また次に何に繋がっていくのか。
やっぱり、自分を知るって面白い。
現実を変えていくのには意識が先だけれど、カラダからのアプローチも面白い。
普段頭で考える癖の強いわたしにとっては、また新しい角度から自分を見つめることができるということを体験できた。
ここからは余談。
今回、ワークに参加するにあたって
6歳の娘と1歳3ヶ月の息子を誰に預けるか
ということはわたしにとってのかなりのハードルだった。
旦那さんは仕事になるかもしれなくて(結局一日中仕事だった)。
わたしのお母さんに来てもらってかなぁ…と考えていた。
でも、朝は早いし夕方までの長時間。
息子はまだ授乳をしているしそこまで離れたことがない。
うーん…。
そうこうしていたら、預かってくれると言ってくれる友人が名乗り出てくれたのである。
喜んでお願いしたものの、その友人、若いし子育て経験もないしで、正直大丈夫かな…と直前まで揺れていた。
日頃、このくらいのこどもを慣れない場所で、しかも慣れてない人が面倒を見る大変さは百も承知だったし(自分が若いころだったら怖くてできなかった)。
なにしろ初めて家族以外に長時間預けるというものだったし。
しかも、まだ話せない、興味関心のまま危険物に突進していく息子。
でも、娘がいてくれるというのもあり、最悪ヘルプに行ける人員を確保してお願いした。
結果。
大丈夫だった。
泣いたけれど、フクロウやら猫やらハリネズミやらを見たり抱っこしてもらったりで泣き止み。
ちゃんと1日無事に過ごして待っていてくれた。
本当にすごい。
これは、わたしにとってもおっきな出来事だった。
こどもとの関わりも変わり始めたと感じる体験になった。
あ!
ワークでのダンスで
やっぱり中心で注目を浴びたい
中心で表現したい
というのも気づいたのも発見。
それと
途中でなんだか
性的に興奮する曲があった
というのも印象に残っている。
またワーク行こう。

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